役宅
清五郎達が注進状を提出してから1か月が経とうとしていた。清五郎は相変わらず閻魔堂を監視していたが、注進状をだした上は余計なことはしなかった。相変わらず徳次郎一党は活発に活動している。清五郎は焦れていた。
(もうそろそろ返事が来ても良い頃だが。火盗改めは何をしているのか?)
夕刻になって木曾屋に引き上げると善右衛門が居た。
「火盗改めから呼び出しが来たぞ!」
開口一番善右衛門は明るい声で言った。何でも注進状を届けられた後、火盗改めで内定調査が行われ、概ね事実であると回答があり、最終確認のため火盗改めの役宅に呼び出されたのだ。役宅には善右衛門と清五郎が行くことになった。そして幾は今後起きる可能性がある徳次郎等の報復を避けるために、平太夫の親戚のいる板橋の旅籠屋に預けられることになった。その際、千歳の遺品の懐剣を持たせた。
4月19日。清五郎と善右衛門は本所菊川町の火付け盗賊改め長官、長谷川平蔵の役宅にいた。二人は書院に通されると平蔵が来るのを待たされていた。しばらくすると、ドカドカッという足音の後、襖が勢いよくパーンと開いた。
「よう!よく来たな!俺が長谷川だ!」
これが火付け盗賊改め長官、長谷川平蔵宣以であった。平蔵はせわしなく上座に座ると。「此度の儀、大儀であった。」と真面目腐って言った。善右衛門と清五郎は平伏した。
「まぁ、そんなに硬くなるな。おまえらは俺の恩人なんだからよ。」
平蔵にそう言われた二人はきょとんとしていた。
「ええと、爺さんの方が善右衛門で、若い方が清五郎だっけ?」
「左様でございます。」
「おまえらの注進状読ませてもらった。よく調べたな。証拠も証言も完璧だったぜ。もう裏は取った。」
「ただ、それだけでは俺はちと物足りなくてな。他にもいろいろと調べさせてもらった。それで少し時間が掛かっちまったんだ。」
清五郎は密告からだいぶ時が過ぎたことで、徳次郎たちが逃げてしまうのではないかと不安だった。
「長谷川様。奴らは大宮を裏から支配しようと目論んでいるようです。しかし、大宮にくる以前にも何処かで拠点づくりをしていたかも知れません。あまりのんびりしていると、そこに逃げ込まれて取り逃がすことになるのではないでしょうか?」
平蔵はそれを聞いて首を振った。
「心配するな。こっちは専門家だ。注進状が来た翌日から密偵を張り込ませてある。今のところ奴らが根城を変える動きはねぇ。」
清五郎は驚いた。自分は毎日見張りをしているが密偵らしき者を見たことが無かったからだ。
「それが本職ってもんよ。すでに閻魔堂に潜んでいる幹部たちの素性も調べてある。」
「なんと!?」
二人は驚いた。自分たちとは比較にならない捜査力である。
「おまえら。奴らの正体を知りてぇか?」
そういと、平蔵は得意げに話し出した。
頭目の徳次郎は神道徳次郎とも真刀徳次郎とも言われている。常州(茨城県)笠間出身。神道流剣術の達人である。年少から粗暴だったが、4~5年前から若者達を組織して北関東や東北で犯罪を繰り返すようになった。押込み強盗だけで数百件。殺人や傷害も多数犯している。盗んだ物は金はもちろん、金目の物は残らず持って行き、徳次郎のいる根城で仕分けしてから江戸の浅草や柳原で換金していた。手下は数十人いるが、それらの下にはさらに数百人の不良たちがいる。まれにみる大盗賊団だった。
「そんな恐ろしい奴らだったとは!それにしても良くそこまでお調べになられましたな。」
善右衛門は驚嘆した。
「まぁな。じつは関東郡代から関東の犯罪被害の調書を貰ったんだ。そこに奴らの犯行と思しき被害報告が膨大に載っていた。徳次郎の事もな。」
「伊奈様から?伊奈様は奴らの事を知っていたのですか?」
「そうだ。だが、知っての通り彼らは代官だ。ご老中の命がなければ動かん。ただ4年前には水戸様(徳川御三家)のご命令で盗賊狩りに出動している。調書はその時の物に最近までの被害を加えたものだ。動きが無かったのは田沼様(田沼意次)と白河様(松平定信)の権力争いでそれどころではなかったのだろう。それに彼らが動くのはもっとでかいヤマの時だ。一揆とか2年前の打ち壊しのようにな。」
清五郎は政治の混乱が徳次郎達犯罪者の跳梁を許していたことを知った。
「本件で最も重大なのは公儀役人に偽装して犯罪をしていることだ。これを許しては秩序が滅茶苦茶になっちまう。その意味で清五郎、お手柄だったな。」
「はぁ。自分は別に。」
謙遜ではなく本当にどうでも良いと思っていた。罪状は何であれ奴らを壊滅出来さえすれば。
「それに千鳥だっけ?おまえの許嫁だったんだろ。気の毒だったな。だが、これは彼女の意志が導いたものだ。それに報いるために、必ず奴らをぶっ潰してやる。」
清五郎は膝に置いた手をぎゅっと握った。
(もうすぐだ。待っていてくれ千歳。)
「それで本題なんだが、、。」
「本題?」
「そうだ。おまえらを褒めるためにこんなところに呼ぶわけねぇだろう?」
「はぁ。」
二人は顔を見合わせた。
「じつはな、俺も知らなかったんだが、武州で捕まえた犯罪者は武州で処刑すると決まりがあるんだ。大宮にもあるだろう?下原刑場てのが。徳次郎たちを捕まえたとして、そこで処刑されると俺が困るんだ。」
「と、言いますと?」
「徳次郎を江戸で処刑したい。それで住民で告発者であるおまえらの許可が欲しいんだ。」
善右衛門は平蔵の意図を測りかねた。
「だからよ。特例で江戸で処刑するために形の上でおまえらの許可が居るんだよ。いいだろう?」
善右衛門が困惑していると清五郎が答えた。
「私共は奴らがどこで処刑されようと構いません。」
それを聞いて平蔵は手を叩いた。
「よし!決まりだ!ありがとよ。首はそっちで晒してやるからな!」
平蔵はご満悦になった。
その時、襖の向こうから平蔵を呼ぶ声がした。
「お頭。ちょっと。」
そう言って同心が入ってきた。同心は平蔵の傍まで来ると何事か耳打ちを始めた。
「うん。何?うん。そうか。すぐ手配いたせ。」
平蔵が小声で指示を出している。
「いや、なに。探していた茶菓子が見つかったんでな。すぐ買ってくるよう申し付けた。」
「はぁ、茶菓子ですか。」
「それはともかく。5日、我らは5日の内に動く。それまでおまえらは何もするな。すべて我らに任せるのだ。良いな!」
「ははっ!」
「話は以上だ。ご苦労だった。おまえら今日は江戸見物でもして明日ゆっくり帰れ。」
そう言うと二人は役宅を出された。
長谷川平蔵は食えない男だった。翌日二人が大宮に帰ると大騒ぎになっていた。
「おお!清五郎帰ったか!徳次郎一味が捕まったぞ!」
平太夫は興奮気味に話した。
「なんだって!?」
清五郎と善右衛門は驚愕した。平太夫が言うには徳次郎等幹部全員がそろったのを確認して、夜中に急行した長谷川平蔵率いる火盗改めが、朝方に閻魔堂に踏み込み全員を捕縛したという。
「それでな。長谷川様が帰りうちの前を通ったとき、清五郎にこれを渡してくれって。捜査協力の礼だと。」
茶菓子だった。
(くそ!一杯食わされた!何が茶菓子だ!)
その後、江戸に凱旋した平蔵は、わざと徳次郎達をあちこち引き回し、その名を大いに高めたのだった。6月7日、小塚原で斬首された徳次郎たちは高台橋に首を晒された。これは千鳥に対する平蔵の配慮だった。清五郎は徳次郎の首を見たが、何の感慨も湧かなかった。徳次郎たちを追い詰めていた時は高揚感があったが、終わってみると千鳥がいない喪失感だけが残った。
第六章 大宮宿
9.役宅
この章の目次へ主な登場人物

清五郎
大宮宿の材木商「木曾屋」の主人。千歳・幾姉妹の幼馴染。徳次郎一党についての注進状を送った。

小松善右衛門
大宮宿の名主。

長谷川平蔵
火付盗賊改方長官。

徳次郎
関東・東北で多数の強盗・殺人を重ねた盗賊団の頭目。

木曾屋平太夫
清五郎の父。

幾(都鳥)
千歳の妹。
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