問屋場
名主が待つ問屋場は元柳屋から北へ1町ほど歩いたところにある。問屋場の前は人馬や荷物でごった返していたが、清五郎が姿を見せると中で差配をしていた小松善右衛門が声を掛けてきた。
「清五郎こっちだ。」
善右衛門は大宮宿の名主であるが、問屋場の責任者、いわゆる宿役人(しゅくやくにん)でもある。幕府役人の交通や荷物、参勤交代の大名の宿泊の手配はこの宿役人が差配していた。
「悪いな、忙しいときに。」
「いえ、もう今日の仕事は終わりましたので。ところでどんなご用事でしょうか?」
善右衛門は「ちょっと」と言って清五郎を問屋場の隅に招くと小声で話し出した。
「じつはな、今朝ほど怪しい奴がここを訪ねて来てな。」
「怪しい奴?」
「旅の僧侶なんだが、ぼろぼろの袈裟を着て草鞋も履いてない。見るからに怪しい坊主で、最初は物乞いに来たと思ったんだが。」
善右衛門が険しい顔で続ける。
「そいつが3年前に亡くなった千鳥、いや千歳の身内を探しているって言うんだよ。」
「千歳の身内?」
「そう。千鳥じゃなくて千歳だ。おかしいだろう?千鳥という女郎の名はみんな知ってるが、千歳という本名はこの宿場でもほとんど知る者はいない。それが見たこともない乞食坊主が「千歳の身内」って言ったんだ。」
清五郎の動悸が高まった。
「何者でしょうか?千歳の身内に何の用があると?」
「それがだな。身内を探している。用件は会って話すってだけで、それ以外は何も言わないんだ。自分の名前も言わなかった。」
「それで、善右衛門様は何と答えられたんでしょうか?」
「うん。千歳という女は知らない。何かの間違いじゃないですか?って言ったんだ。その坊主は「そんなはずはない」って食い下がってきたが、わしはしらばっくれて追い返した。」
(誰だろう?千歳の名を知る者は木曾屋とこの善右衛門。それと柳屋の近所の者だけだ。小さい頃死んだ父親の知り合いだろうか?いや、だったら千歳が3年前に死んだことを知っているはずはない。誰なんだ?)
「もしかすると徳次郎一味の残党かも知れないって思って何も教えなかったんだが、どうにも気になってな。いちおうお前に知らせておこうと思っんだ。」
清五郎は徳次郎一味と聞いてさっと顔色が変わった。
「徳次郎一味。奴らは壊滅したと聞いていますが、何十人も手下がいたというのであるいは。そいつらが意趣返しに来たのかもしれません。」
清五郎は気色ばんだ。
「待て待て!そうとは限らんだろう?その坊主は確かに乞食の風体をしていたが、本物の坊主に見えた。それでもし奴らの仲間だとしても「千鳥」の身内はもういない。利兵衛は死んだ。幾も2年前から行方不明だ。お前だって千歳の夫にはなれなかった。もう復讐する相手はいないんだから。」
善右衛門にそう言われて少し冷静さを取り戻したが、清五郎はその旅僧が何者か確かめずにいられなかった。
「わかっています。しかし何者であろうと千歳に何か関りがあるはずです。私はそれを確かめずにはいられません。その僧侶はどちらに行かれましたか?」
「う~ん。追い返しちまったからな。でも、あの様子じゃまだ宿内で訪ねて回っているかも知れんな。探してみるか?」
「はい。」
「わかっているだろうが変な気は起こすなよ!今更何をしたって千歳は帰ってこないんだからな。お前は木曾屋を守らなきゃまらねぇ。そうだろう?」
善右衛門は諭すように言った。
「わかっています。」
清五郎はそう言うと問屋場を出た。
清五郎は問屋場を出たが、そのまま裏にある雲助の溜まり場に寄った。
雲助(くもすけ)とは宿場にいる無宿人の雑役労働者で、荷物運びや駕籠かきなどの仕事をしていた。ごろつきが多く、宿場の連中にはあまり良い顔はされないが、問屋場は常に人手不足なので彼らが居ないと成り立たないのだ。
「ちょっといいかな?」清五郎は座り込んで談笑する雲助達に話し掛けた。雲助達は清五郎を一瞥しただけで談笑を止めない。清五郎は懐から財布を出すと雲助の一人に金を渡した。
「あんた気前が良いな。俺たちに何か用かい?」
その雲助は嬉しそうに言った。清五郎は旅僧を見なかったか尋ねた。
「ああ、その乞食坊主ならここへ来たよ。人を探しているって言ってた。」
「それは千歳という女の事だね?」
「そうだ。千歳っていう女は知らねえって言ったんだが、しつこくてさ。めんどくせぇからよ、三年前に死んだ千鳥っていう女郎ならいたぜって、教えてやったんだ。そしたらどっか行ったよ。」
「何処に行ったか分かるかい?」
「さあねぇ。あ、もしかしたらあそこに行ったかも知れねぇ。高台橋。千鳥はあそこで身投げしたからな」
(高台橋か)
清五郎は問屋場を後にした。
第六章 大宮宿
3.問屋場
この章の目次へ主な登場人物

清五郎
大宮宿の材木商「木曾屋」の主人。千歳・幾姉妹の幼馴染。

小松善右衛門
大宮宿宮町の名主。

旅僧
ぼろぼろの僧衣をまとい、宿場を歩く謎の人物。
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