第六章 大宮宿

12.高台橋

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主な登場人物
清五郎

清五郎

木曾屋の主人。

旅僧

旅僧

ぼろぼろの僧衣をまとい、千歳の身内を捜して宿場を訪ね歩く。

高台橋  清五郎は木曾屋を出て高台橋に向かった。高台橋は千歳が身を投げ、神道徳次郎が首を晒されたいわくつきの場所だ。旅の僧侶はそこにいる。 (まだ居ると良いが。いや、きっと居る。) 清五郎は自分に言い聞かせた。念のため帯の後ろに短刀を忍ばせてある。高台橋が近づくにつれて清五郎の鼓動は早くなった。氷川神社の一の鳥居に団子屋がある。姉妹の父はここで亡くなったのだ。高台橋はもう目の前だ。居るのか?いないのか?居た! 高台橋の橋の上に立っている、笠を被りぼろぼろの袈裟を着た裸足の僧侶。 (こいつだ!) その僧侶は橋の上から川面を眺め、静かに念仏を唱えていた。 「お坊様。ここで何をしているのですか?」 清五郎は僧侶に話しかけてみた。僧侶はじろりと清五郎を見ると、 「見ればわかるだろう。念仏を唱えているのだ。」 僧侶のあまり友好的ではない態度に清五郎は少しひるんだが、構わず続けた。 「何のために?誰のためにですか?」 僧侶は念仏を止めると清五郎に顔を向けた。 「おまえは?」 「この宿場で商売をしている者です。」 「私に何か用か?」 清五郎はどう切り出すか迷っていた。 「いえ、こんなところで念仏を唱えているのが珍しかったものですから。」 「そうかの?」 「お坊様はここがどんな場所かご存じですか?」 僧侶は清五郎の顔をじっと見つめた。 「知っておる。千鳥という女郎が身を投げた場所だ。雲助たちが教えてくれた。その女郎のために念仏を唱えているのだ。おまえは千鳥を知っているのか?」 「ええ、3年前にここから身を投げました。盗賊の親玉に責められたせいです。」 僧侶は少し驚いた顔をした。 「そうか。それは気の毒にの。」 清五郎は話を変えた。この僧侶が何者で何のためにここに来たのか確かめなければならないからだ。 「お坊様はどこから来なすった?大宮に何か用で?」 僧侶は、んん?という顔をしてすこし沈黙してから。 「おまえも私を疑っているのか?問屋場の役人もそうだった。こんななりでは仕方がないが、どうもここでは私は歓迎されないらしい。」 「そんなことはありません。ただ、興味があったものですから。それに何かお手伝い出来るかもしれません。」 「ふん。白々しいことを言う。私が僧侶のなりをした詐欺師とでも思っているのだろう。」 僧侶は蔑むような顔をした。 「まぁ良い。もうここを去るので、ついでに教えてやろう。」 「私は2年前にここに来るつもりだった。しかし途中で行き倒れてしまっての。瀕死の時に旅の僧侶に助けられた。そのままその方の弟子になった。以来、師匠のお供で諸国を回っていたが、その師匠が亡くなったのでご恩返しの必要がなくなった。それでようやくここに来れたのだ。」 「そうですか。それで2年前にどんな御用があったのですか?」 「約束を果たすことだ。」 「約束?何のですか?」 「それは言えん。ときにおまえは千歳という女性を知っているか?3年前にこの大宮で亡くなったそうだが。」 (来た!)清五郎ははやる気持ちを押さえ、慎重に言葉を選んだ。 「千歳という女は知りませんね。しかし、千鳥という女郎は私の幼馴染でした。」 沈黙が流れた。僧侶は再び清五郎の顔をじっと見ている。 「そうだったのか。それは気の毒だったな。非礼を詫びよう。」 そう言って頭を下げた。 「聞くが、その千鳥に妹はいなかったか?」 清五郎は雷に打たれたように衝撃を受けた。 (なぜ千鳥に妹がいると知っているのだ!?この僧侶は「千歳」は知っていても「千鳥」は知らなかったはずだ。だから千鳥に妹がいることは知らないはずだ。それに〝いなかったか?〟だと?まるで妹がもう居ないような言い方じゃないか!この僧侶は千歳に妹がいたことを知っている。だから「千鳥」が「千歳」と同一人物かどうか「妹」を使って探っているのだ。) 「どうした?」 清五郎は心が見透かされているのを感じた。 「おりました。」 思わず口走ってしまったが、今度は僧侶が驚愕している。 「その妹も幼馴染なのか?」 「はい。私は姉妹が小さい時から一緒に遊んでいました。遠くに遊びに行った帰りにはよく妹をおんぶしてあげたものです。」 僧侶はその言葉にはっとした。 【兄さんみたいだね、ろくろさんは。】 僧侶は眼を見開いて清五郎の顔を見ると、その眼からみるみる涙が溢れた。 「そうですか。そうでしたか。あなたが!」 僧侶は震える声でそういうと嗚咽して泣き出した。清五郎は僧侶の突然の変化に戸惑った。 「お坊様?どうされました?」 「すみません。取り乱しました。あなたに渡さなければならないものがあります。」 そう言うと懐から財布を出し、小判を1枚清五郎に渡した。 「この金は?」 「約束を交わした人から頂いた物です。あなたにお返しします。」 「いや、しかし、、。」 清五郎は戸惑った。僧侶は構わず、 「それからこれを」 と言って頭陀袋から布の包みを清五郎に渡した。中を開けて清五郎は驚愕した。 「なぜあなたがこれを!?」 それは千歳の遺品の懐剣だった。 「こんなにも遅くなってしまいました。でも約束は果たせたようです。私はあなたにどうしても伝えたい事があってここに来ました。」 「私は六郎兵衛と申します。」