手紙
清五郎は十字屋(元柳屋)に旅僧が来なかったか聞いてみた。旅僧はやはりここに来たという。しかし、この店の者は元々大宮宿の者ではなかったので何も知らないと答えたそうだ。清五郎は一旦木曾屋に戻った。
(その旅僧は何が目的で来たのだろう?千歳の知り合いだとしても死んでから3年も経っている。しかも善右衛門の言うように千歳の身内はもういない。徳次郎一味の残党だとしても、「千鳥」は知っていても「千歳」の名は知らないはずだ。だから奴らではない。しかし、その旅僧に会ったところで過去が変わるわけでもない。でもなんだろう?私はどうしても会わなくてはいけない気がする。)
清五郎は仏壇に手を合わせた。そこには千歳の位牌と遺書がある。
(千歳、これはおまえの導きなのか?凍りついた私の心を溶かす何かがあるのか?)
清五郎は千歳の死によって大きな喪失感に苛まれているが、それをさらに深くしているのが幾の失踪だった。幾は2年前の3月、千歳の一周忌に合わせて大宮に帰るように使いを出した後、板橋から大宮に向かう途中失踪した。行方は杳として知れない。美濃屋の女将は信頼できる付き添いを付けたと言うが、その付き添いもいなくなっている。何があったのか?その男に攫われたのだろうか?それとも川にでも落ちたのだろうか?いつも悪い方に想像して心を苛むのである。それ以来清五郎は泣くことも笑うことも出来なくなってしまった。
3年前の8月、長谷川様から江戸で徳次郎一味の残党を捕まえたと手紙が来た。そいつらは麹町の長谷川様の自宅を襲うつもりで返り討ちにあったようだ。どうやら奴らの復讐心は大宮宿の人たちではなく長谷川様に向いていたらしい。長谷川様は徳次郎一味が壊滅したので安心して良いと保証してくれた。
清五郎は大宮が安全になったので、幾に帰ってくるよう手紙を出した。幾は当初はふさぎ込んでいたが、美濃屋の親戚の富農の家で子供たちに囲まれているうちに元気を取り戻したらしい。ほどなくして幾から返事が来た。
【清五郎兄さん、お手紙ありがとう。徳次郎一味の残党が捕まり大宮の皆さんもようやく安心して眠れますね。これで千歳姉さんもあの世で安心していると思います。返す返す後悔するのは、あの時私は何も出来なかった事です。いつも姉頼りにしていたので、いざというとき無力だった自分が情けないです。
そちらに戻ってこいという話ですが、申し訳ないのですがしばらくは板橋に居ようと思います。それから姉の手紙をお見せしなかったことを御詫びします。
あの時は動揺してお見せできる精神状態では無かったものですから。
あの手紙には死んだ父と私に関わる秘密が書かれていました。姉は秘密にしたかったようですが、最後になって伝えなければならないと思ったようです。今となっては私にはどうでも良いことですが、いちおう兄さんにお伝えします。
私たちの父は商人だったのは間違いないのですが、実はその前は大きな武家屋敷に居て、姉もそこで育ったそうです。そこで何をしていたのか?父が家臣だったのか使用人だったのかはわからないそうですが、何か都合の悪いことがあって居られなくなってしまい、その時そこのお殿様か若様に貰ったのがあの懐剣だと父が話していたそうです。その後父は姉と深川に移り住みましたが、その時屋敷から生まれたばかりの私を連れてきたそうです。姉の母は姉を生んですぐに亡くなり、父は後妻を設けなかったので、私は父とも姉とも血が繋がっていないことになります。姉は私を武家屋敷のお殿様と血が繋がっているのかも知れないといいます。父がよく「幾はお姫様なんだから」と言っていたそうですから。
それで何かの事情で越後?に帰らなくてはいけなくなって、父は私たちを連れて旅に出たのですが、懐剣を持っていたのは、私の事を証明するために必要だったのではないか?と姉は考えていました。どういう意味か分かりませんが。
姉が懐剣の事を気にしていたのはそのせいなのです。ただ、私にとってはどうでも良いことです。柳屋の父さん母さん、千歳姉、木曽屋のお父さん、そして兄さん。私の家族はそれだけです。
それから、姉の手紙には兄さんの嫁になるようにと書いてあります。兄さんを頼むとも。私は兄さんが大好きです。姉さんも大好きです。でも、兄さんと一緒になるということは、姉さんを忘れる努力をしなくてはならない。亡くした痛みを忘れなくてはいけない。そういう事だと思います。姉もそれを望んでいると。私はそれだけは出来ません。それだけは嫌なのです。私は一生姉を誇りに、姉を失った痛みを抱えて生きていきたいのです。だからごめんなさい。あなたと一緒になることは出来ません。でも、兄さんも同じ気持ちかな?
私は今、ご厄介になっている農家で、沢山の子供達に囲まれて生きています。子供の世話がこんなに大変なことも、楽しい事も知らなかった私は毎日新鮮で楽しいです。子育てに向いてるのかな?将来子供達を集めて手習いを教えたり出来れば良いなぁって思います。兄さんも協力してくれたら嬉しいな。清五郎兄さん、大好きだよ。じゃあまたね。幾。
寛政元年9月8日】
「幾。おまえ子供たちに手習いを教えるんじゃなかったのか?私はいつでも手伝ってあげるよ。だからもう帰って来いよ。なぁ、頼むよ。幾。」
第六章 大宮宿
11.手紙
この章の目次へ主な登場人物

清五郎
木曾屋の主人。

幾(都鳥)
千歳の妹。

千歳(千鳥)
幾の姉。清五郎の許嫁。
×