動揺
寛政3年(1791)10月のある日。石神村名主岩井庄右衛門の隣家の杉山喜助が赤山陣屋の労役から帰って来ると、庄右衛門宅に来た。
「庄右衛門さん。伊奈様の御家中がおかしくなっているように思うのですが、何か聞いていませんか?」
「何かとは何か?」
喜助は最近全く会田七左衛門を見ないと言った。会田の屋敷も誰も居ないという。さらに以前永田屋敷で家老の永田らしき人を見たこともあると言った。永田は馬喰町の郡代役所で伊奈家の重責を担っており、赤山陣屋に居るはずがない人物だった。
「う~ん。俺も最近おかしいと思っていたんだ。じつはな、まだ年貢割り付け状(納税通知書)が来てないんだ。」
「え?それは変ですね。もうとっくに来てるはずじゃないですか。」
「そうなんだ。特に伊奈様はその辺きっちりされているからな。何かおかしい。会田様がいないことと何か関係があるのかもしれない。心配だから藤田様に聞きに行ってみるよ。」
会田家は関東郡代伊奈家の支配地を分割支配する4人の支配人の内代々その一人を相続する譜代の重鎮で、その公正で誠実な施政は支配地の民から信頼を受けてきた。会田家はその役職から赤山に住する事が多く、赤山領の領民にとっては親のような存在であった。
殊に現支配人の七左衛門は領内の百姓に商品作物の栽培を奨励し、特に赤山の切り花や柿渋などは特産として江戸に出荷され、領民を大いに潤していた。有能であり、領民思いの男であった。石神村に熱心に渋柿の植樹を勧めたのも七左衛門だった。天明飢饉の時には飢饉が拡大する前から領民の自衛策を指示することで乗り切ることが出来た。会田はその際赤山陣屋に支配地の名主を集めて言った。
「此度の飢饉を甘く見てはならぬ。二年三年、もっと続くかもしれない。飢饉は広範囲に拡がり、やがて食料を奪い合う事態になることは間違いない。この未曾有の危機に於いてはお上を当てにしてはならぬ。凶作が何年も続けば手の打ちようがないからだ。故にお主たち自身で乗り切るのだ。」
会田からそう言われた当時は誰もがそんな酷いことになるとは思わなかったが、1年も経つと現実のものとなった。人々は厳しくも暖かい配慮に心から感謝したのである。その会田が赤山に居ないのだ。
庄右衛門は村役人を連れて赤山陣屋に入ると、藤田の詰める役場を訪ねた。藤田は庄右衛門らを見ると、〝何事か?〟という顔をしたが、いつもの明るい顔で出迎えた。庄右衛門達は会田の不在の事、年貢割り付け状の未発行など、家中で何が起こっているのかを藤田に詰めよった。藤田は誤魔化していたが、やがて怒り出した。
「お前たちはそんな心配するな!これは俺たちの問題だ!お前達はそんな心配せずに家業に精を出していれば良いのだ!もうほっといてくれ!」
そう言って庄右衛門らを追い出した。藤田があのように怒るのを見るのは初めてだった。心なしか悔しそうにも見えた。
(伊奈家で何が起こっているのだ。俺たちに何か出来ることは無いのか?)
庄右衛門は言い知れぬ不安と苛立ちを覚えた。
第五章 馬喰町
4.動揺
この章の目次へ主な登場人物

岩井庄右衛門
石神村の名主。

杉山喜助
庄右衛門の隣人。

藤田
赤山陣屋の役人。

会田七左衛門
赤山陣屋の支配人。
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