崩壊
杉浦達の連判状は不発に終わったが、その後それを聞いた永田半大夫は身内(伊奈家と板倉家)では解決不可能と判断して、幕府要人にこれまでの経緯を書いた内訴状を送った。すると若年寄の安藤対馬守から伊奈忠尊に家中の混乱と自身の不行跡についての質問状が渡された。
5月15日、久しぶりに登城した忠尊は答案書を提出したが、そこには「騒動は解決済み」「不行跡はさらさら身に覚えがない」と書いてあった。誠に不愛想な返答だったが、なんと幕府はこれで不問にした。
これに業を煮やした杉浦は、違う幕府要人に再度上申書を出した。
しかし、これを知った忠尊は激怒。永田半大夫は謹慎、杉浦五大夫、五郎右衛門父子、会田七左衛門、野村藤介は伊奈屋敷に監禁。他連判状にあった47名は蟄居謹慎処分とした。伊奈家家臣団は150人余り、それを50名以上処分して役目から外してしまったのである。
これで実質伊奈家は終了した。
寛政3年(1791)8月24日杉浦五大夫が死去した。
その際「君、君たらずといえども、臣、臣足らざるべからず。御家はここに滅ぶとも、謹んで伊奈家の名を穢すべからず。」と言い残したという。杉浦五大夫享年65歳。
その後の幕府の対応も家臣に冷たく、弟に甘い実兄の板倉勝政に裁定を任せ、板倉は当然のように再度会田等を処断した。
第五章 馬喰町
3.崩壊
この章の目次へ主な登場人物

永田半大夫
伊奈家の家老。

杉浦五大夫
伊奈家の番頭。忠尊の改心を訴える。

会田七左衛門
伊奈家家臣。赤山陣屋の支配人。杉浦とともに忠尊の改心を訴える。

野村藤介
伊奈家家臣。杉浦とともに忠尊の改心を訴える。

板倉勝政
伊奈忠尊の実兄。
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