第五章 馬喰町

2.忠義

この章の目次へ
主な登場人物
伊奈忠尊

伊奈忠尊

関東郡代伊奈家当主。

永田半大夫

永田半大夫

伊奈家の家老。

杉浦五大夫

杉浦五大夫

伊奈家の重臣、番頭。

野村藤介

野村藤介

伊奈家家臣。

会田七左衛門

会田七左衛門

伊奈家家臣。赤山陣屋の支配人。

富田吉右衛門

富田吉右衛門

伊奈家筆頭家老。

忠義  事の発端は天明8年(1788)11月、伊奈忠尊が家老の永田半大夫、九郎兵衛父子を突如赤山陣屋に逼塞(自宅軟禁)に処したことである。永田半大夫は伊奈家随一の実力者であり、家臣たちの信頼も篤かった。 なぜそんなことになったかというと、ある日老中松平定信に駕籠訴(要人の駕籠に直接訴えること)があり、江戸打ち壊し収拾の際に永田に不正があったと訴えた。(松平定信は後にこれは伊奈忠尊が仕組んだ虚偽の告訴だと言っている)松平定信は幕閣と諮り伊奈忠尊に処断させたのだが、その理由は一切誰にも説明がなかった。 永田が家政の中心だったことから、家中は処分の解除を願ったが、いつまでたっても解かれることはなかった。 そのまま1年半が経ち伊奈家の職務に支障が出始めたことから、痺れを切らした杉浦五大夫、野村藤介、会田七左衛門の3人は、永田の処分解除と復職を求めて伊奈忠尊の実兄である寺社奉行板倉周防守勝政に相談に行ったのである。しかし勝政は相談に応じることなく、そのことを忠尊に伝え、激怒した忠尊が3人を解職処分にした。  伊奈忠尊は備中松山藩板倉勝澄の11男で、伊奈家先代の忠敬(ただひろ)の養子になった。安永7年(1778)忠敬の死後当主になった。忠敬には忠善(ただよし)という実子がいたが、幼少だったため忠尊が後を継いだのである。 忠尊は災害相次ぐ天明期に抜群の活躍を見せたが、次第に驕慢不遜になっていく。永田はそれを諫めたが聞かなかったという。ある時は江戸城で老中を背にして座り、それを咎められたにも関わらず態度が悪かったという。これら不遜な態度は幕閣の顰蹙を買ったに違いない。  忠尊はある一件をきっかけにふてくされ、それ以来全く仕事をせず、病気と称して江戸城にも登城せず、吉原や岡場所(私営の女郎屋)通いや舟遊びなどやりたい放題を仕出した。それは伊奈家が幕府から金を借りて他へ貸付けて利息を得るための公金1万5千両の返済期限を繰り延べしてもらう嘆願を、幕府から拒否されたことによる。 公金貸付は他の代官もしていたが、伊奈家は規模が違い、一大金融機関の体をなしていた。この収入のおかげでどうにか家計を維持してきたのである。しかし、貸付は需要が減ったり相手が大名だったりすると焦げ付くことが多々あった。そのため伊奈忠尊自身が繰り延べを嘆願したのだが、幕府は3年で返済せよと手厳しかった。 これは忠尊自身が幕閣から嫌われていたことも原因と思われる。これ以降忠尊の不行跡が酷くなっていった。 こうして伊奈家は当主と家政の中心者が不在という事態が長期に及び、次第に機能不全に陥った。

伊奈氏改易時系図

伊奈氏改易時系図
*伊奈家改易の顛末は巻末に年表を記載しました。  寛政3年(1791)4月6日、杉浦五大夫、会田七左衛門、野村藤介の3人は馬喰町郡代屋敷にいた。昨年11月に永田復職願いと忠尊改心を訴えた連判状を提出した後もそれが果たされなかったので、再び連判状を出しに来たのだ。 3人は決死の覚悟でいた。すでに永田不在と忠尊乱行によって伊奈家は崩壊寸前になっていたのだ。もう一刻の猶予もなかった。 「富田様、今すぐ永田殿を復職させて頂きたい。もうこれが最後でございます。」 杉浦五大夫は挨拶もせずに言った。言われた富田吉右衛門は伊奈家筆頭家老であった。彼はため息をついた。 「杉浦、私にもどうにもならんのだ。大殿は誰の言うことも聞かぬ。兄君の周防守(板倉勝政)様でもだ。」 「富田様のお覚悟は如何に。このまま事態が推移すれば当家は潰れます。そんな泣き言を言っている場合ですか。」  杉浦は富田を真っすぐ見つめ言うと富田は沈黙した。野村が口を開いた。 「何故永田様を拒むのですか?永田様以外この難局を乗り切ることは叶いませぬ。ご家老にはそれが分かりませぬか?」 忠尊が異常なほど永田が復職することを拒んでいるが誰もその理由が分からない。野村は続ける。 「永田様が処分されてから今日まで2年半、その理由を一切明かされておりませぬ。永田様本人にもです。ご家老はそれで良いとお思いですか?」 「それは上意だからだ。白河様の駕籠に永田に不正があると訴えがあり、大殿に処断するよう命じられたのだ。それに逆らうことは出来ぬではないか。」 富田は上意に良いも悪いもないと考えていた。 「しかし、大殿様は昨年11月には永田様の逼塞を解かれました。同時に解職も解かれるのが筋ではありませんか?永田様が復職なされると何か都合が悪いことがあるのですか?」 野村はそもそもの駕籠訴が忠尊の仕組んだ虚偽の訴えではないかと疑っていた。本当は忠尊の方に不正があり、永田が復帰するとそれが発覚することを恐れているのだと。 「めったなことを言うな。大殿が不正をしているというのか?」 「証拠はありません。しかし、大殿様が一昨年1万5千両の拝借金の繰り延べを幕府に訴えられましたが、なぜ返済が出来なかったのでしょうか?その2か月前にここにおられる杉浦様が仙台藩への貸付金2万両を回収してきたではありませんか。それを返済に充てれば何も問題が無かったはずです。」 仙台藩への貸付金は伊奈家が再三返済を迫っても返さなかったものを、杉浦五大夫が仙台に乗り込み、一歩も引かずに交渉した結果2万両に充当する8千5百俵の米穀を江戸に回送したことで決着している。野村は最も返済しなければならない幕府からの拝借金に杉浦が取り立ててきた金を充てなかったことに疑念を抱いていた。拝借金の返済を優先し、それ以外の借金を繰り延べにすれば何の問題もなかったと言いたいのだ。永田がいればそれをしただろうとも。永田こそ公金貸付の責任者だったからだ。 「大殿が決めたことだ。返済資金があろうがなかろうが、それが最善だと判断されたのだ。家臣の口出すことではない。」 富田の言葉に野村は気色ばんだが、それを会田が制した。 「ご家老様、貸付金の件もそうですが、それ以上に切迫しているのが大殿様の不行跡です。噂は幕閣にも届いており、すでに内偵に入っていると聞いています。このままでは大殿様ご自身が罪に問われることになりますぞ。」 会田は忠尊が病気と称して仕事も江戸城にも登城せず、遊び歩いていることを幕府が嗅ぎつけていることを知っていた。普通ならそれだけで処分される。 「わかっておる。だからこそ大殿をどうやって守るか腐心しているのだ。それをお主らが騒ぎ立てては守るものも守れぬではないか!」 富田は苛立ちを募らせていた。永田の不在が家政に支障を及ぼしていることも、忠尊が改心する気もないことも分かっていた。杉浦達の目的が、もはや改心ではなく忠尊の排除、退陣にあることは明らかで、そのために忠尊が頑なになっていると考えていたのだ。 「とにかく大殿の改心を重ねてお願いするしかないのだ。それは私がやるから黙っててくれ。」 会田は納得がいかない様子だった。今度は杉浦が口を開いた。 「富田様。何故それほどまでに大殿様を庇われるのか?今伊奈家を傾けているのは大殿様ではござらぬか。」 富田は憮然としている。 「杉浦、どんな主君でもお守りするのが家臣ではないか。それをしなくて何が忠義なのだ。」 「忠義?忠義と申しますか?御家を軽んじ潰れても構わぬ態度を取る主君に忠義と申しますか?」 「口が過ぎるぞ、杉浦!」 富田は叱責したが杉浦は収まらない。 「我らの忠義は民の為に命を削って来られた代々の御屋形様、そしてその矜持でございます。我らはその為ならいつでも身命を捨てるつもりでおります。富田様は今の大殿様の為に腹を切ることが出来ますか?」 富田はそう言われて沈黙した。そして弱々しい声でこう言った。 「伊奈家有ってこそ精神の継承が保たれる。故に家の存続こそが大事。伊奈家無くして誰が民を守るのか?主君を守り抜いてこそこの難局を乗り切れる。そうは思わぬか?」 杉浦は腕を組んで目を瞑った。もうこれ以上話は平行線である。富田や他の家老達を説得するのは無理であって、もうそんな時間もないと思った。杉浦等3人は郡代屋敷を後にした。 富田は伊奈家改易後、伊奈家を親戚筋から新規相続した伊奈忠盈の家老を勤めている。彼なりに信念を貫いたと思われる。