第五章 馬喰町

1.大樹

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大樹  関東郡代伊奈家とは関東の幕府直轄領の内30万石を支配する代官で、すべての代官の筆頭である。通常代官は5~10万石の支配地を10~20人程度で支配する。 代官は勘定奉行の末端組織で、支配下の農村から年貢を徴収するのが主な仕事である。伊奈氏も支配地は大きいが勘定奉行の下部組織には違いがない。しかし、将軍の鷹場の管理や、江戸周辺の主要な宿場の支配、関所の管理など、代官の仕事以外にさまざまな職務に就いている。家臣も150人からおり、実質大名並みの家勢を誇っている。そのため度々勘定奉行と同等の地位に引き上げられて、幕府の重要な政策に関わっている。 伊奈家がなぜこのような特殊な組織で特殊な地位にいるかというと、それは徳川家康の関東入府(1590年)まで遡る。 その時家康の信任を得て代官頭に就いた伊奈忠次は河川改修や新田開発で大きな業績を上げ、その後の関東の基礎を作った。この代官頭の持つ様々な権限を次男の伊奈忠治が継承し赤山領を賜った。それが代々継承され200年間10代目の忠尊まで続いている。 つまり、幕府初期の代官頭という古い役職がそのまま続いてしまっていたのである。 当然上部組織の勘定奉行らとは軋轢が生じたが、伊奈家の持つ関東での影響力の大きさから存続を許されてきた。 幕府は自身で対応できない問題に直面すると切り札のように伊奈家を使った。 騒擾の収拾、自然災害の復興、河川改修、日光社参の人馬徴発など上げればキリがないほどである。そもそも利根川や荒川を今の流れに変えたのも伊奈氏であって、関東・江戸の発展は伊奈家抜きでは為せなかったのである。そういう意味では幕府の中でいびつなほど大きい力を持つ伊奈家は必要であり、幕府内で軋轢を生む厄介者でもあった。しかし、その伊奈という大樹は内部から崩れようとしていた。