第四章 石川島

2.奇策

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主な登場人物
長谷川平蔵

長谷川平蔵

火付盗賊改方長官。

内藤数馬

内藤数馬

平蔵の部下。護岸工事を任され、現場作業にも従事している。

奇策  寛政3年(1791)4月、1年経った人足寄場の運営は軌道に乗り、収容者も150人を数え、初の退所者も出た。退所者には自分で積み立てた貯金を返し、学んだ職に必要な道具まで与えた。しかし、中には全く更生する気もない者もいて、収容所の風紀を乱したり揉め事を起こしたりしていた。犯罪者のすさんだ心を直すのは難しいのだ。それでも平蔵はあきらめなかった。 (心を尽くせ!) 本所牢で杉浦五大夫に言われた言葉が平蔵の支えだった。  もう一つ平蔵を悩ませていたことがある。それは人足寄場の運営資金が削減されたことであった。初年度は約800両だったものが、600両に減らされていた。年々収容者を増やそうと考えていた平蔵にとって頭の痛い問題だった。 (これからって時に。事業は2年目からが大事なのに。これでは現状を維持するのも難しい。)  平蔵は人足寄場の運営資金を減らされた後、老中首座松平定信のもとを訪ねた。用件は物価高により庶民が困窮している。ついては窮民対策として下賜金を賜りたい。ということだった。同時に江戸の商人を集めて物価を下げるよう説諭をするという。窮民に補助金を与えることと、商人に自主的に値下げをさせることで多少は江戸市民の生活が楽になればということで定信は許可し、3千両を平蔵に下賜した。   ある日内藤数馬が平蔵の役宅に出勤すると、家中に銭箱が積まれていた。仰天した数馬は平蔵の居間に飛び込んだ。 「お頭、この銭箱は一体?」 「おお!良い所に来た。ちょうど話があったんだ。」 「いや、その前にあの金は?」 「ああ、蔵に入りきらなくてな。」 「そうじゃなくて、どうしたんですかあの金!?」 「あれは幕府から頂いた3千両を銭に両替したんだ。」 「あの窮民扶助の?何のためですか?」 「寄場資金の足しにしようと思ってな。銭の相場が上がったら売るのさ。」 数馬は絶句した。 「何ですって!?あ、あれは公金ですよ!そんな事したらお上からお咎めが。」 「落ち着け数馬!儲かれば良いんだろう?損しなけりゃお上も目を瞑るさ。」 「何を言っているんですか!もし損したら切腹ですよ!切腹!」 「ああ、そうだな。おまえもな。」 「お頭が切腹したら私たちはどうすれば良いんですか?」 「おまえも腹を切るんだから、後のことは考えなくて良いだろう?」 「ちょっと待って。さっきから何を?なぜ私が腹を切るんですか?」 「この銭の受領書な、担当者にお前の名前を書いて両替屋に渡した。」 「!?!?!?」 「だから、おまえも責任者なんだよ。」 数馬は気を失いそうだった。 「ウソでしょう!?」 「・・・・・」 「ウソでしょう!?」二度聞いた。 「そんな!ひどい!ひどすぎる!」 「まあ、慌てるな。手は打ってある。おまえも協力しろ。」 翌日、平蔵は町奉行所に江戸の主だった商人を集めた。 「其の方らに申す。諸物価が高騰して庶民が困っておるゆえ、白河様より物価抑制の要請があった。各々の申したいことがあろうが、ここはご老中の顔を立てると思って協力してほしい。」 平蔵は商人たちに平身低頭して頼んだ。商人達はざわついたが、平蔵が低姿勢で臨んだことと、老中の要請とあって畏まって承った。(やる気はない)それで用件は終わったのだが、商人たちは奉行所を出た後、あちこちでヒソヒソ話を始め、やがて急いで帰っていった。 銭相場はその日のうちに急騰した。町奉行所に集められた商人たちがこぞって銭を買い始めたからである。 「よし!数馬、銭を売りに行け!」 「ははっ!」 数馬は山のような銭を大八車に載せて両替屋に飛んでいった。 「あっはっは!ちょろいもんだぜ~!」 平蔵は銭を売った利ザヤで600両の儲けを出した。 じつは内藤数馬を商人に化けさせ、町奉行所に集められた商人の中に紛れ込ませて、幕府が近々銭相場に介入すると噂を流したのだ。 「うまくいきましたな!お頭。」 「そうだな。数馬、おぬしも悪よの~!」 「フッフッフ。」数馬も悪ノリした。 (今気が付いたが何も銭の現物を持ってこさせなくても良かったな。引き換え証文を交わせば済んだのに。数馬に悪いことしたな。まあ良いか。)