奮闘
寛政2年2月28日長谷川平蔵は隅田川の河口、石川島にいた。ここは幕府旗本で船手頭の石川大隅守の屋敷があったことから石川島と呼ばれている。平蔵は前年老中松平定信に建議していた無宿人厚生施設建設が認められ、この石川島の南側の中州に施設の建設を始めたのである。
これを人足寄場という。
幕府は徳川吉宗の頃から江戸に流入し治安を乱す無宿人対策に頭を悩ませており、度々無宿人の為の施設を作ってみたもののことごとく失敗している。
10年前も深川茂森町で無宿養育所が作られたが、大量の死者と逃亡者が出て頓挫している。老中首座松平定信は天明の飢饉で無宿人が急増して、江戸打ち壊しなどの大騒動が起きたことを問題視して、従来と一線を画す施設の建設するための意見を募った。そこに建議書を出したのが御先手組弓頭および火付け盗賊改め長官の長谷川平蔵だった。
今で言えば自衛隊精鋭部隊と警察テロ専門部隊の隊長が犯罪者やホームレスの厚生と更生を兼ねた施設を作るようなものであり、いかに意外かが分かる。しかし、平蔵が懸念した自分の案が取り上げられるのかどうか?というのは杞憂だった。他の武士たちは最初からそんなことは下賤の者がやることだと思っていたので、平蔵以外手を挙げる者がいなかったのである。平蔵が神道徳次郎を捕まえるなどの手柄は全く関係なかったのだ。
平蔵は上機嫌だった。この日彼は念願かなった人足寄場の建設予定地で鍬入れ式を執り行っていた。鍬入れ式の日にもかかわらず、平蔵はさっそく20人ほどの無宿人を集めて訓示をしていた。
「諸君!今日この人足寄場に集められた諸君は、江戸で困窮し、犯罪に手を染め、人々から蔑まれる無宿人達の代表である。この度、お上はこの長谷川にこの対策を一任された。この長谷川は今まで厄介者を閉じ込めるだけのような収容所ではなく、諸君がここで手に職を持ち、貯金をし、性根を直して社会復帰する手伝いをする施設を作る。これが成功するかどうかは、ここに集まった第1期生の諸君にかかっているのだ!」
平蔵は一呼吸入れて皆を見回した。皆紅潮し、感激の面持ちである。平蔵はご満悦である。平蔵が言うようにこの人足寄場は無宿人たちの社会復帰を目指すものである。収容された無宿人達は人足としてここで仕事をし、手に職を付け、自立のすべを得て社会に戻るのである。日本初と言って良い福祉事業なのだ。平蔵は訓示を続けた。
「そもそも犯罪をしたくてやっている者はほとんどいない。犯罪を犯さざるを得ない境遇に置かれることで止む無くやっているのだ。俺も昔は「本所の鐵(てつ)と呼ばれるようなワルだった。だからこそ諸君の気持ちがわかる。若い頃の俺はそりゃあ悪かった。飲む打つ買うの三拍子、喧嘩は日常茶飯事だ。」
演説に興が乗り始めた平蔵を、内藤数馬は冷ややかに見つめていた。
(始まった。お頭の悪い癖だ。話が長くなると段々脱線して、最後は何言っているか分からなくなるんだ。ほら、やくざの出入りに加勢した話に変わっている。こんな話聞かせてどうするんだ。案の定みんなダレてきた。)
ようやく平蔵の長い長い話が終わった。数馬はやっと式が始められると安堵したが、(何か変だぞ?鍬入れ式なのに盛り土がない。神主もいない。)
数馬が不審に思っていると、平蔵が言った。
「これより鍬入れ式を始める。みんな鍬を持ってついて来い。」
平蔵はそう言って一人一人に鍬を持たせた。そして、
「これはおまえのだ。」
と言って数馬にも鍬を持たせると、皆を宿舎建設予定地に連れて行った。そして全員が揃うと、
「今からここの整地作業をする。」
と言った。皆「ええ~!?」と驚いた。
「何してる?ここにおまえらが寝泊まりする小屋を作るんだぞ。早くしないと野宿だぞ。」
そう平蔵が言うと、皆いっせいに土を耕し始めた。
「お、お頭!本当にやるんですか?今?」
数馬は驚愕した。
「当たり前だろう?建設資金が足りないんだ。作業は自分たちでやらねえとな。何してるんだ数馬。早くおまえもやれ。」
平蔵は無駄の無い男だった。
(なんで私まで。)
数馬は嘆いたが、整地と仮小屋はその日のうちに完成した。
人足寄場の建設資金は確かに足りなかった。これも幕府の財政不如意によるものなので平蔵も仕方ないと思っていた。その代わり平蔵は知恵と工夫で建設を進めていった。空き家になった武家屋敷を解体して材木を確保したり、中州を埋め立てして、その空き地を材木商の資材置き場にして地代を取ったりして節約と資金確保に充てていた。他の旗本ならプライドが邪魔をしてこんなことは出来ないが、平蔵にそんなこだわりは無かった。
1か月後、内藤数馬は平蔵に石川島に来るように言われた。人足寄場の建築現場に行くと平蔵が人足達にあれこれ指図をしていた。建築は急ピッチで進められ、すでに無宿人達の収容が始まっていた。
「おう!来たか!」
平蔵は上機嫌だった。
「どうだい?立派なもんだろう?」
「はい。凄いですね!ろくに資金も無いのに、こんな立派な施設になるとは。」
数馬は感心した。
「そうだろう?でよ、ちょっとお前に相談があるんだ。」
そう言うと平蔵は埋め立て地の岸に数馬を引っ張っていった。
「これを見ろ。数馬。せっかく埋め立てしたのに川に削られているだろう?」
護岸がされていない埋め立て地の岸は、川の流れにどんどん削られていた。
「そうですね。このままでは築地が崩れてしまいますね。」
「そうなんだ。そこで早急に護岸をしなきゃならねぇ。それでおまえにその役をやってもらいてぇのよ。」
数馬は動揺した。
「ええ!?私が?私は犯罪捜査官ですよ?そんなこと出来ませんよ。」
「だからよ。おまえ一人にはやらせねえから。同心を2,3人付けるからよ。頼むよ。みんな忙しいんだからさ。」
「私だって忙しいのに。でも分かりました。やればいいんですよね?やれば。」
数馬はしぶしぶ引き受けた。
「で、工事はどこの業者ですか?護岸用の石は材木石奉行に掛け合うんですか?」
「・・・・・」平蔵は沈黙している。
「お頭?どうなんですか?」
「工事はここの人足達を使っておまえの指揮で行う。石は浅草寺とかの無縁仏の墓石を持ってくる。」
「ええっ!?」数馬は仰天した。
「じゃあ頼んだぞ!」
そう言って平蔵は現場に戻っていった。
(馬鹿な!無茶苦茶だ!)
捕り物に建築にと忙しい平蔵だが、石川島の埋め立て地の護岸が気になっていた。雨の季節が近づいていたので、それまでに護岸を終わらせたかったのだ。
(数馬の奴、ちゃんとやってるかな?ちょっとはっぱを掛けに行くか?)
墓石調達の様子が気になった平蔵は浅草の船着場まで来た。作業は順調に進んでいて、寺から運んだ石が河岸に積み上げられていた。平蔵は安心したが、何故か指図役の数馬がいない。近くで人足達の作業を見守っている同心に数馬は何処に行ったのか聞くと、後ろに居りますとのこと。振り返ると人足姿の男が真後ろに居た。
「お頭、何しに来たんですかい?」数馬だった。
「お、お前いつから武士辞めたんだ!?」平蔵は驚いた。
「何言っているんですか!辞めていませんよ。こんなところを知り合いに見られたら恥ずかしくて仕方ないでしょ!だから分からないように変装しているんです!」数馬は憮然とした。
「そ、そうか!それは悪かったな。でも変装うまいじゃねえか。本物だと思ったぜ。」
「お頭のせいですよ!まったく!」数馬はぶつぶつ言いながら手際良く指図をしている。
(これは意外だった。数馬にこんな才能があるとは。今度は埋め立て工事をやらせて見よう。)
第四章 石川島
1.奮闘
この章の目次へ主な登場人物

長谷川平蔵
火付盗賊改方長官。

内藤数馬
平蔵の部下。
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