第二章 旅路

8.邂逅

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邂逅  弟と家の中でかくれんぼをしていた。弟はまだ小さいので隠れてもすぐ見つかるし、俺が隠れると見つけられない。 今日も俺が大きな行李(こうり:竹や柳で編んだ籠)に隠れていると弟は全然見つけられなかった。そうして隠れていると祖父と親父の話し声が聞こえてきた。俺と弟のことを話しているようだった。 「隣村の権兵衛の家が、うちの末っ子を欲しいってさ。良かったな。」 祖父の声だった。 「おお~!それは良かった!権兵衛さんの家は女ばかりで、去年やっと生れた倅が死んじまったって言ってたな。」 父の声だ。 「そうよ。それでたまたまうちの前を通り掛かったときに、ちょうど頃合いの男の子が居たので、うちの名主様に引き取りたいと相談があったんだとさ。俺は二つ返事でハイハイってなものよ。どうぞ、貰ってって下さいな!ってな。」 「よかった!いい話だ。跡取り養子とは。あの子も運がいい。」 何の話をしているんだろう?弟をあげる? 「男の子はいねえと困るが、居すぎても困るからねぇ。」 うちは男ばかりの7人兄弟だったが、3年前の流行病で3男から5男までまとめて死んでしまった。残っているのは長男、次男、俺と弟の4人だった。 「あと3人かぁ。2人でいいよ。次男はもしもの時にいないと困るからな。」 「六郎兵衛さ、あれをどうする?出来がよくねえしなぁ。」 「そうさなぁ。町場に奉公にでも出すか?早い方がいいだろ?親父。」 父の声だった。 (奉公って何だ?俺は家を出されるのか?) 俺は緊張と不安で心臓が高鳴り、二人が去るまで息をすることも出来なかった。 母が土間で煮炊きをしていた。俺は母にさっきの事を聞いてみた。 「母ちゃん。奉公って何?」 母の手が止まった。 「さぁ、何だろうねぇ。」 「あのさ、さっきじいちゃんと父ちゃんが言ってたんだ。俺を奉公に出すって。」 「弟も誰かにやるって言ってた。俺も家から出されるのかなぁ?」 母は再び手を動かしながら俺を見ずに言った。 「どうかねぇ。母ちゃんにはわかんないよ。」 肯定も否定もしない母に俺は動揺した。 「なぁ、俺どこにも行きたくないよ。一生懸命手伝うからさ、家に置いてよ。なぁ、母ちゃん。」 「そうだねぇ。困ったねぇ。」 母は最期まで俺を安心させることは言ってくれなかった。 弟が隣村の権兵衛に引き取られた後、俺は奉公に出されることはなかった。次男が急逝したからだ。俺は長男の予備として家に置かれることになった。 だが、7年前に長男に男児が生まれると父と母は露骨に俺を無碍(むげ:さげすむ)にするようになった。そしてあの飢饉が始まった。浅間山が噴火したのを合図に、関東は飢え死にする者や行き倒れ者が増えていった。 そして比較的裕福だったうちの村にも少しずつ飢饉が迫ってきた。 4年前のある日、父に呼ばれた。江戸に奉公の話があるから行ってくれんか?という話だった。俺はついに来た!と思った。これは実質的な命令だった。飢饉は何年にも及び家も苦しくなってきた。もう俺の居場所はないのだ。 「よかったねぇ六郎。こんな年になって良い奉公先が見つかるなんて。お前は運が良いよ。江戸の米問屋だよ。このご時世、米屋だけは景気良いんだって。ここに居たってさ、良いことないよ。もう食べるだけで一杯一杯だしね。江戸じゃ腹いっぱいおまんまが食えるからね。」 母は心にもない事を言って俺を送り出した。俺は二度と帰らない決心をして故郷を去った。 江戸に来て驚いた。あちこちに乞食が群がっている。役人が配るお救い米に殺到しているのだ。それはまだ良い方で、路地裏にはあちこちに餓死者が倒れており、それを男たちが大八車に乗せて何処かへ運んでいる。俺は身震いした。 (故郷よりはるかに酷いじゃないか!) 江戸がこんな有様だと知らなかった俺は、暗澹たる気持ちで紹介された奉公先に向かった。だが、その米屋があるはずの町に来てみたが、米屋がなかなか見つからなかった。困った俺は道行く人を捕まえて奉公人請け入れ状を見せた。すると、 「なんだこりゃ?おまえさん、こんな住所もこんな米屋もねぇよ!」 俺はようやく騙されたことに気が付いた。そのとたん目がぐるぐる回りその場で尻もちをついた。 (こんな、ひでぇよ!こんなの、あんまりだ!こんなのあるかよ!こんなのあるかよ!) 俺はその日のうちに乞食の仲間になった。