拝殿
長い坂だった。行けども行けども林の中だった。俺は娘が休める場所を探した。建物、乾いた床。とにかく風を避けられればいい。しかし林に入った途端月明かりが遮られ暗闇に近かった。左右に何があるかさえわからない。
「ごめんなさい。私のせいで。ごめんなさい。」
娘は震える声で何度も詫びた。
「謝るな!しょうがなかったんだ。今あんたがすることは生きて帰る努力をすることだ。ほら、元気出せ!」
俺は背中の娘を2、3度揺すって元気づけようとした。
「兄さんみたいだね、ろくろさんは。」
そう言われて涙が出そうだった。
(死なせたくねぇ、死なせたくねぇ!神でも仏でもどっちでもいい!どうかこの娘を助けてくれ!)そう思わずにいられなかった。
それから少し歩いたところで右側に石段があることに気づいた。見上げると鳥居が立っていた。
「神社だ!」
石段を登り鳥居をくぐると目の前にぼんやりと拝殿が現れた。
(ここに入れれば!)
俺は娘を降ろして拝殿の扉に近づいた。扉は閉まっていたが紐で縛っているだけだった。
(しめた!入れるぞ!)
手がかじかんで紐は解けなかったが、噛んで紐を引っ張ったら外れた。すぐに娘を中に入れると扉をピタッと閉めた。拝殿は小高い場所にあるので林の木々に月明かりが差し込んでいた。隙間風が少しは入るが外とは雲泥の差だった。
(これならどうにか。)
娘を横にするとぐったりと座り込んだ。風が凌げるとはいえ、やはり寒い。
(火が欲しい、水が飲みてぇ。腹が減った。)
何かないのか?拝殿の中を這いつくばりながら筵(むしろ)でもないかと探していると。
「うううっ。」と娘が唸っている。横になった娘は歯をカチカチ鳴らしながら激しく震え始めた。
「大丈夫か!」近寄って声を掛けると、「寒い!寒い!」と言って膝を曲げて腕を縮めて震えている。
(まずい!凍え始めている)
蓑を娘の体の上に掛けたがそんなことでは震えは収まらない。濡れた服を脱がせなければ体温を奪われるだけだ。
(濡れた服を脱がせねえと死ぬ!)
そう思って娘の帯を解こうとするが、水にぬれた帯はガッチリと締まっていてビクともしない。手がかじかんでいてなおさら解くことが出来ない。
「くそう!どうすりゃいい!」
「動け!体を動かさねぇと死ぬぞ!」「親父さんに会うんだろう!恩返しするんだろう!」
俺は激しく娘を揺すりながら叫んだ。すると少し正気を取り戻したのか娘は震える声でこう言った。
「ろくろさん。私、もうダメかもしれない。」「だから、もし死んだら、これを父に、渡してください。懐にあります。」娘は懐を押さえてそう言った。
「ばか!そんなこと俺に頼むな!自分で渡せ!」
俺は必死に娘の背中を擦った。娘は口が回らないのか、それ以後何をしゃべっているのか聴き取れなくなった。
「まだ助かる!死ぬな!頼む!」
そう言いながら延々と娘の背中を擦っていた。
第二章 旅路
7.拝殿
この章の目次へ主な登場人物

六郎兵衛(ろくろ)
板橋宿問屋場の雑務係。さよを背負って暗い林の中を進む。

さよ
大宮宿の大店の娘と見られる若い女性。冷たい川に落ち、ろくろに背負われ震えている。
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