2.春の嵐
空はいよいよ暗くなり、ゴロゴロと不気味な雷鳴が近づいてくる。轟轟(ごうごう)と吹き付ける風の中を俺たちは北西の道を進んだ。
この道は関東御郡代の役所に通じる道で、通称「赤山街道」というらしい。千住で風雨に備えて二人分の蓑(みの)を買うときに、店の親父から大宮までの道のりを聞いた。
「大宮へは二町(218m)先にある赤山街道をまっすぐ北西に行くだけだ、迷うことはないよ。しかしあんた、今日中には無理だ。途中
鳩ヶ谷宿に行く道があるから、そこへ行って泊まるか、そのまま進んで伊奈様のお役所の中を通り抜けると、そこに街道の
立場(たてば)の茶屋町があるから、そこに泊めてもらうと良いよ」と言っていた。
俺は大宮まで一本道であることを聞いて少し安堵した。こんな見知らぬ土地で右だ左だと言われちゃ迷子になるだけだからな。
雷鳴は背後まで迫っており、時折ぴかっとまぶしい光を放つとバリバリ、ドーンと雷が落ちる。強風の中に雨が混じり始めた。娘は口を真一文字に結んで付いてくる。俺はため息をついた。娘の気持ちは分かる。姉が死んで親父も危ないとなりゃ、一刻でも早く帰りたくなるだろう。
でもな、俺一人で板橋に帰ったら、娘が一人で無事に帰れたとしても女将から何を言われるかわからねえ。いや、そんな無責任なことをすれば俺はクビだ。宿場にも居られねえ。まして娘に何かあったら俺はお仕舞いだ。娘は何が何でも大宮に行こうとしている。俺は娘から離れることが出来ねえ。これは何の因果か?この先何か起きそうなイヤーな予感がした。
蓑売りの店の親父は
増田橋という橋を渡ったら左へ行けと言っていたが、ここがそうなのか?そこに
竹ノ塚という立場(たてば)の茶屋町があるからすぐわかるそうだが、言われた通り茶屋が並んでいる。立場とは街道の宿場と宿場の間にある馬や人が休める施設で、たいがい茶屋町が併設されている。よし、この道が赤山街道でここを真っすぐ行けばよいのだ。俺たちは進路を左に取って茶屋町を通り過ぎて行った。この雷雨でどの店も慌てて店じまいをしていた。
この街道は幅が3~4間(5.4~7.2m)ぐらいで、街道と呼ぶには広くないが、道は手入れされて、松杉の並木が続いているのでわかりやすい。道に迷う心配はなさそうだ。あとはどこまで進むかだが。茶屋町を過ぎた辺りから雷雨はますます強くなり、横から殴りつけるような風で足がなかなか前に進まねえ。誰一人すれ違う者もねえ。こんな日に春の嵐か、ついてねえ。
いったいどこまで進んだのか?千住から2~3里(8~12km)は歩いたように思うが、猛烈な雷と風雨のせいで時間も距離もわからねえ。途中小さな宿場のような場所があったが、そこも戸を閉めてひっそりとしている、そこから先は左右は田んぼばかりで雨風を凌ぐ小屋もない。
娘はこの辺りから歩みが遅くなり、俺は娘を待ち待ち進んだので余計に遅くなった。無理もねえ、この嵐の中もう6里(24km)は歩いている。娘は菅笠をかぶり、埃(ほこり)除けの浴衣を道中着(どうちゅうぎ)にして、その上から買った蓑を着けてはいるが足元はびしょ濡れだ。俺は娘の耳元で、「まだ歩けるか?!」と叫ぶように聞くと、娘はうんうんとうなずいて見せた。その時、風向きが急に変わって冷たい風が吹きつけてきた。それとともに米粒のような氷が降ってきた。雪?こんな時期に?驚いていると、見る間に粒が大きくなり、小石大の氷がボトボト音を立てて降ってきた。
「雹だ!でかい!」振り向くと娘も目を丸くしている。俺たちは避難できそうな場所を目指して駆けだした。1町(109m)ほど駆けると坂道になり右手に小さな寺が見えた。本堂だけしかなかったが二人でその軒下に避難した。
三街道と赤山街道