第二章 旅路

寛政2年(1790)3月3日

1.川止め

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主な登場人物
六郎兵衛(ろくろ)

六郎兵衛(ろくろ)

板橋宿問屋場の雑務係。元・無宿人。

さよ

さよ

大宮宿の大店の娘と見られる若い女性。

美濃屋の女将

美濃屋の女将

板橋宿の旅籠「美濃屋」の女将。

1.川止め 「これは困った」と俺は思った。 朝から板橋宿から歩いて荒川の渡船場に来たが、なかなか船が出ない。前日の雨、そして明け方の大雨で船頭たちは船を出すかどうか様子を見ていた。晴れてはいたが次第に大風が吹き、南西から真っ黒い雲が湧いてきて、ついに渡船は中止、川止めとなった。  俺は若い娘を連れていた。「さよ」と名乗るこの娘は今朝会ったばかりだ。普段世話になっている板橋宿の旅籠(はたご)の女将から、突然この娘を大宮宿まで連れてってほしいと頼まれた。なんでも昨夜大宮から来た知り合いの商人から「姉の一周忌が近いので大宮に帰って来るように」と娘に言づてがあったらしい。 俺は最初断ったが、女将が路銀(ろぎん)をくれたので引き受けた。そして意外にも娘からもこっそり金を貰った。なんと1両だ。この娘は大宮の大店(おおだな)のお嬢さんだろう。美人で品もあるから相違ねえ。 大宮なんぞここから5里(20㎞)、俺の足なら半日も掛からねえし、娘っ子を連れたとて昼八つ(14時)には着くだろうさ。  ところが荒川につくと長いこと待たされたあげく川止めだ。しかし困ったのはここからだった。俺は娘に 「今日は無理だから引き返しましょう。」 と言うと、娘は血相変えて 「今日中に何としても連れて行って下さい!どうか頼みます!」と懇願してきた。 俺は渡河できない以上無理だから、と説得をしてみたが頑として聞かない。ほとほと手を焼いて、さあ、どうしたものか?と腕を組んでいると、このやり取りを見ていた船客が 「あんたら川を渡りたかったら千住に行きな。橋があるから渡れるよ」 と教えてくれた。確かに川さえ渡れりゃ先へ進めるが、俺は天明飢饉で江戸へ流れてきたクチだ。江戸の地理はてんでわからねえ。しかし娘が拝むような顔で俺を見るので仕方なくそこへ向かうことにした。  俺の名前は六郎兵衛と言うが、宿場の連中は略して「ろくろ」と呼んでいる。不愉快だが、まぁ、名前なんざどうでも良い。俺は4年前に江戸へ流れてきて、乞食同然の暮しをしてきた。 2年前に故郷に帰ろうと思って板橋に寄ると、たまたま旅籠屋「美濃屋」の女将に声を掛けられて問屋場の雑用の仕事にありつくことが出来た。以来この宿場を根城にして、そこそこマシな暮らしが出来た。 当然恩人たる女将には借りがあるので、なんやかやと用事を頼まれることがあったが、少しばかり厄介でも女将の頼みは断れねえ。なによりこの娘が一両もくれたんだ。断らなくて正解だったぜ。こんな大金を手にしたのは生れて初めてだ。用事が済んだら盛大に贅沢をするつもりだ。俺の足取りはすこぶる軽かった。  その橋、千住大橋は渡船場から3里半(14km)ほど東にあったが、ほぼ荒川沿いに歩けばよいので道に迷うこともなかった。急いだ甲斐あって昼過ぎには着いた。その間に空は真っ黒な雲に覆われ、生暖かい風がビュービュー吹いてきた。千住宿の茶店で一服したあと、俺はあらためて娘に聞いてみた。 「なあ、おさよさん。姉さんの法要は今日明日じゃないんだろう?だったらここに泊まって、明日早く出たらどうだい?お天道様がこんなんじゃ、この先どこまで進めるかわからねぇよ。」 「わかっています。でも、少しでも早く家に帰りたいのです。私は夜通し駆けても構いません。もしどうしても無理なら道筋の家に泊めてもらいますから、どうかお願いします。」と再び必死のお頼みだ。 俺が、あんた何でそんなに、と言いかけると 「姉の法要はまだ先です。でも、夕べ伝えに来た人が言ったのです。私の父が病に臥せっていて、容態も良くないって。父は私の恩人です。父を助けたい、受けた御恩を返さなければいけないのです。無理は言いません。あなたはここで引き返して帰ってください。私は一人で行きます。」