第一章 本所牢屋敷

3.神道徳次郎

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この章の主な登場人物
神道徳次郎

神道徳次郎

大盗賊の頭目。28歳。先月大宮宿で平蔵に捕まった。神道流剣術の使い手。

長谷川平蔵

長谷川平蔵

火付盗賊改方長官。44歳。かつては本所の鐵と呼ばれる不良だった。

内藤数馬

内藤数馬

火付盗賊改方の与力。平蔵の部下。

3.神道徳次郎 古川が徳次郎の牢に案内すると迎えに来た。 徳次郎の牢は大盗賊の頭目だけあって独房だった。平蔵と内藤が牢の前に立つと古川は後ろに下がった。徳次郎は牢の壁に膝を抱えて寄り掛かりぼうっとしていた。 神道徳次郎は神道流という剣術の達人だったという。徳次郎一党は二十歳前後の不良たちを中心とした犯罪集団で、大荒れの時代に現れたあだ花というべき存在だった。 多感な時期に飢饉を生き抜き、江戸の打ち壊しや絹一揆などの民衆暴動を目の当たりにしてきたので、おのずからすさんだ生き方になってしまった。そんな彼らが頭目と仰いだ徳次郎は、数十人の部下の他にかかわりのあった手下は数百人いたというまさに若いアウトローたちのカリスマ的存在だったのだ。 「相変わらず腑抜けだな、おまえさん。」 先月、平蔵は張り込みをしていた密偵から、徳次郎等幹部が大宮宿外れの四恩寺の閻魔堂という根城に揃っているという報告を受け大宮に急行。閻魔堂を取り囲むと夜明けを待って踏み込んだ。 寝込みを襲われた彼らは、それでも必死の抵抗を試みたが、準備万端で臨んだ平蔵等にあっさり取り押さえられた。幹部等がそれぞれ縛られて引き出されたが徳次郎は出てこなかった。平蔵が不審に思っていると中から与力が手招きした。 平蔵が閻魔堂の中に入ると、壁に寄りかかり徳利を持ってうなだれる男がいた。徳次郎だった。 「これが?」平蔵は髪もひげも伸び切って悪臭を放つこの男が徳次郎とは信じられなかった。 「こいつが手下が何百人もいる盗賊の頭だっていうのか?廃人じゃねえか。」 「はあ、連中の話では。」 与力たちも信じられない面持ちだった。 捕らえられた徳次郎と幹部4名は、その日のうちに本所菊川町の平蔵の役宅に収監された。 幹部4名は常松(22才)、伊勢松(18才)、丈助(19才)、山番人藤八で、いずれも徳次郎の最側近と言える幹部だった。 その後厳しい尋問の末、調書が作成され評定所に提出された。彼らが本所牢屋敷に移送されたのはその後である。 徳次郎は平蔵を見ても何の反応も示さなかった。 「今日は良い知らせを持ってきてやったぜ。お前さんは1か月後獄門に決まった。どうだ?うれしいだろう?」 平蔵は茶化すように言った。徳次郎はぼうっとしたままだ。 「なんだ、あまりうれしそうじゃねえな。もっと喜べよ!やっとそのむさくるしい首とおさらば出来るんだからよ!」 そう言われた徳次郎はようやく平蔵をちらっと見ると、 「さっさと殺せ。」とぼそっと言った。 後ろに控えていた内藤数馬と古川弥平次は困惑していた。 (何やっているんだ?この人は?) 「それとな、お前さんに礼を言っとこうと思ってよ。」 「俺は火盗改めになってから、これと言った手柄が無くてな。なにか大きな手柄が無いもんかって時にお前さんの話が飛び込んできたのよ。うれしかったねぇ。 じつはよ、俺は同僚の旗本たちからは評判が悪くってなぁ。火盗改めに任命されてからというもの、「なんであいつが?」って僻まれちまってよ。そいつらを黙らせるためにも大手柄が必要だったのよ。」 平蔵はうれしそうに語っている。 「それだけじゃねぇ。今俺はお上に良い話を持って行こうと思っててよ。江戸中の無宿人達を集めてな。大工や職人の技術を教えて飯が食えるようにする寄場を作ろうって目論見よ。どうだい?素晴らしい発想だろう?今回の手柄で白河様(老中松平定信)もきっと目に留めて下さるに違いない。だからお前さんには感謝しても仕切れねえのさ。」 徳次郎は全く興味なさげにしている。 「なんだ?ちっとも嬉しそうじゃねえな?もっと喜べよ!お前さんがその肥やしになるってのによ。」 徳次郎は❝馬鹿かこいつは❞という顔で平蔵を見た。 (そろそろ良いか?) 平蔵は急に真剣な顔になった。 「おまえ、なぜ俺に捕まったかわかるか?」 「おまえ、大宮の女郎に入れあげてたんだってな?」 徳次郎はキッと平蔵に顔を向けた。顔はみるみる赤くなっていった。 「その女郎には許婚がいたが、おまえが横恋慕して迫ったあげく、断られると店に火をつけるとか、親を殺すって脅したそうじゃねえか。それを苦にした女郎は自殺した。そうだな?」 「おまえらの事を俺に密告したのはその許婚だ。」 「なにい?」 徳次郎は初めてはっきりとした声で言った。 それを聞いて平蔵は懐からくしゃくしゃの紙を取り出した。何やら手紙らしい。 「これが何かわかるか?おまえらの根城に落ちていた物だ。」 徳次郎ははっとした。 「これはその女郎がおまえに宛てた手紙だな?日付は3月9日になっている。女郎が死んだ日だ。お前の手下が言うにはその日に何者かによって閻魔堂に投げ込まれたそうだな。どれ読んでやろう。」 「やめろ!」 【地獄にて夫婦になろうぞ】 牢内に沈黙が流れた。 「おまえはこの時に死んだ。女郎に殺されたんだ。てえした女だなぁ。字に一切の迷いが無い。この女は追い詰められて自殺したんじゃねぇ!おまえと刺し違えたんだ。家族を守るためにな。」 「うるせぇ、この野郎!」 徳次郎の顔に怒りが満ちていく。 「もともとお前なんかの手に負える女じゃなかった。なのに何でおまえはこの女にこだわったんだ?そこまでしてよ。」 「当ててやろうか?おまえ、真人間になりたかったんだろう?」 平蔵がそこまで言うと、徳次郎は猛然と牢屋の柵に飛び蹴りをしてきた。 「てめえに何がわかる!」 そして格子の間から手を伸ばし平蔵を掴もうとした。 「この女となら人間の心を取り戻せるかもしれない。そう思ったんだろう?」 平蔵はなおも徳次郎を挑発した。 「ぶっ殺してやる!ここを開けやがれ!」 徳次郎は猛獣のように暴れだした。 「いい顔になったじゃねぇか!それが見たかったんだよ!」 (よし、これでいいだろう。)平蔵はそう見極めると。 「用は済んだ。じゃあ達者でな!徳次郎!」 そう言って徳次郎の怒声を浴びながら牢を後にした。 帰り道、馬上の平蔵は上機嫌で鼻歌を歌っている。 「お頭、なぜあんなことをしたんですか?杉浦様に言ってたことと反対ではありませんか?」 数馬はさっぱり理解できなかった。 「数馬。あの徳次郎を見てどう思った?」 平蔵は数馬の質問に質問で返した。 「どうって。あの変わりようには驚きました。正直肝が縮みました。」 数馬は阿修羅のような徳次郎の形相に慄いた。 「そうだろう?あれが奴の本性よ。俺はなぁ、奴を人間として死なせたかったんだ。さっきまでの奴は死人だ。死人の首を斬って何になる。奴には大盗賊の頭目として相応しい死に方をさせたかったんだ。」 「はぁ、そうですか。」 「それが慈悲ってもんだ。」 平蔵はしんみりと言った。 (こんな時代に生まれて虫けらのように死ぬよりも、命を燃やして生きた証を残したいよな。おまえにはわかるだろう?なぁ、徳次郎!) 1か月後、神道徳次郎は千住小塚原にて首を斬られ、大宮宿の手前、高台橋の袂で手下ともども獄門に晒された。 徳次郎は首を斬られる直前まで全く動揺を見せず、最後まで堂々たる態度だったという。