第二章 旅路

10.別れ

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主な登場人物
六郎兵衛(ろくろ)

六郎兵衛(ろくろ)

板橋宿問屋場の雑務係。故郷を追い出された過去がある。

さよ

さよ

大宮宿の大店の娘と見られる若い女性。凍えて意識が混濁している。

別れ  長い夜が明けた。拝殿の扉を開けて外に出ると東の空が明るい。風はまだ止んでいない。俺は娘を背負って西に歩いた。娘は時々「ううん。」と唸るものの、ほとんど生気が感じられなかった。 「もうすぐだ。あったかい所で休ませてやるからな。」 (もうダメだと思うけど。街道に出たら茶屋に運んで医者に診てもらおう。) 林の上をカラスが飛んでいる。夜は何も見えなかったが、木々の隙間から集落が見える。もうすぐ村の奴らも起きてくるだろう。 (俺はお調べを受けたら板橋に帰ろう。美濃屋の女将に正直に話そう。そして江戸から出ていこう。) ようやく林を抜けると村道のような道に出た。その時背中の娘がズルリと滑り落ちた。 (何だ?急に重くなったぞ。) 俺は娘の手首に指を当てた。 (脈が、無い?死んだのか?) 胸に耳を付けてみた。 (ダメだ。分からねぇ!) 村の奴らの声がする。もうじき村人に出くわすだろう。どうする? 俺はハッと気づいた。 (ダメだダメだ!) 俺は娘を担ぐと林の中に引き返した。 村人には見られてはダメだ。こんな状態(娘が死んでいる)ではどう弁明しても無駄だ。拐かし(かどわかし:誘拐)か、殺人と思われるだろう。俺は下手人として役所につき出される。 美濃屋の女将だって助けてくれまい。それどころか俺が娘をこんなめに遇わせたと恨むはずだ。そして俺は牢屋から出られないまま斬首だ。 「ちくしょう!」 (何を馬鹿なことを考えていたんだ!元無宿人の俺に信用なんてあるわけ無いのに!) 情けなさに涙があふれた。 (もし死んだら、これを父に渡してください。) 娘の最後の言葉がよぎった。夢中で担いで林の奥まで来た。ここまで来れば少しは時間が稼げるだろう。俺は娘を降ろし懐に手を入れてみた。護身用の懐剣があった。 「これか!?これを渡せば良いんだな?」 俺はこれを大宮のこの娘の父親に渡す。そして何があったか伝えなくてはならない。この娘の父親のためにも。俺はこの娘との約束を果たすまでは死んでも死にきれんのだ。 遠くから林の中を男が歩いてくる。もう一刻の猶予もない。 (くそう!こんな形で別れるのか!) 「すまねぇ!約束は必ず守る!すまねぇ!」 俺は娘に手を合わせてから急いで立ち去った。