年表

史実と創作の交錯する物語の歩み

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1762年(宝暦12年)
物語に関わる史実神道徳次郎誕生
1765年(明和2年)
創作清五郎誕生
1767年(明和4年)
創作千歳(千鳥)誕生
1772年(安永元年)
創作都鳥(幾)誕生。高田屋儀兵衛、千歳深川へ移住
1775年(安永4年)
2月1日
物語に関わる史実大宮宿大火。 85軒焼失する。
3月1日
創作高田屋儀兵衛千歳と幾を連れて大宮宿へ。 卒中で死去。
1778年(安永7年)
創作庄右衛門の娘、絹死亡
1781年(天明元年)
8月
史実上州絹一揆
1782/ 1788年(天明元年)
史実天明の大飢饉。離農が増え江戸に流入。無宿人も増える。
1787年(天明7年)
5月20日
史実江戸打ちこわし、長谷川平蔵御先手組出動。
6月6日
史実伊奈忠尊各地より大量の米を買付け江戸市中に放出。打ち壊しの収束
6月19日
史実松平定信老中就任
1788年(天明8年)
10月2日
史実長谷川平蔵火盗改に再就任
11月
史実伊奈忠尊、家老の永田半太夫を解任し、赤山陣屋に逼塞を命じる。
1789年(寛政元年)
3月2日
創作木曾屋平太夫、清五郎秩父出張
3月9日
創作千鳥入水自殺
4月19日
創作善右衛門、清五郎長谷川平蔵の役宅に呼び出し受ける
4月20日
創作神道徳次郎捕縛
史実越後新発田藩清涼院一件
5月6日
創作長谷川平蔵本所牢で徳次郎と面会。杉浦五大夫と会う
6月7日
物語に関わる史実神道徳次郎処刑、高台橋で獄門
8月
創作物語に関わる史実徳次郎一味残党、麹町で平蔵に捕縛される。
9月
史実杉浦五大夫2万両の貸付金回収のため仙台へ出向。貸付金代わりの米穀8,500石を受領し江戸へ回送する。
11月
史実伊奈忠尊15年前幕府から拝借した御預け金1万5千両の返済の猶予を願い出る
1790年(寛政2年)
2月28日
史実長谷川平蔵、石川島に人足寄場設置
3月4日
物語に関わる史実石神村で若い娘の行き倒れ者発見
3月6日
物語に関わる史実娘死亡、女郎堂建立
5月
史実伊奈忠尊幕府に15000両の借金の繰延を拒否される。忠尊素行悪化
7月12日
史実杉浦五大夫、会田七左衛門、野村藤介等逼塞の後解職される。
11月16日
史実杉浦等54名伊奈忠尊の不行跡の諫言と永田復職の連判状を提出。
創作これ以後翌年6月まで繰り返し永田復職と忠尊改心の嘆願書が出される
1791年(寛政3年)
4月
史実平蔵、人足寄場の運営費を銭相場に突っ込む。
8月24日
史実杉浦五大夫勝定死去
10月24日
史実伊奈忠善、赤山陣屋より出奔。比叡山に隠れる。忠尊これを隠蔽する
11月
史実板倉周防守勝政(忠尊兄、寺社奉行)により杉浦五郎右衛門、会田七左衛門
創作野村藤介本所牢に入牢、永田父子は永牢処分。
1792年(寛政4年)
3月8日
創作謎の旅僧が大宮宿に現れる。
3月9日
物語に関わる史実伊奈忠尊失脚。伊奈家改易。赤山領は没収される。永田、杉浦、会田放免

伊奈家改易までの経緯

1788年(天明8年)
11月
永田半大夫・九郎兵衛、赤山に逼塞処分。
1789年(寛政元年)
11月
伊奈忠尊、幕府に1万5千両の拝借金繰延べを嘆願。
1790年(寛政2年)
5月
幕府が繰延べを拒否。忠尊の不行跡が進行。
6月
杉浦・野村・会田、忠尊不行跡と永田復職を板倉勝政に相談。
7月
杉浦ら3名が逼塞・解職処分を受ける。
11月
54名の家臣が忠尊改心・永田復職を連判状で嘆願。忠尊は改心せず。
12月
忠尊、本所屋敷に引きこもり。再度永田復職願いが提出される。
1791年(寛政3年)
4月
51名が再度連判状を提出。永田家、幕府に内訴状を出す。
5月
幕府が質問状を提出。忠尊は「解決済み」と返答。
6月
永田父子謹慎。杉浦・会田・野村ら監禁。47名が蟄居処分。
8月
杉浦五大夫勝定が死去。
10月
忠善が忠尊からの毒殺を恐れ赤山陣屋から出奔、比叡山へ隠れる。
11月
幕府、板倉勝政に裁定を一任。永田父子は永牢、会田らは入牢処分。
12月
会田ら10名が追放処分。忠尊、忠善出奔を隠し幕府に報告。
1792年(寛政4年)
1月
忠善の出奔が幕府に届け出られる。
3月9日
伊奈家改易。郡代職を失脚。